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フィンランド留学日記by藤田(後編)

  • 教教 わくわく倶楽部
  • 2022年12月5日
  • 読了時間: 4分

(中編の続き)

フィンランド留学で学んだこと、続いては②教教の学生として、という切り口で整理してみたいと思います。


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そもそも私がフィンランドに留学したのは、幸福度の高いフィンランドという国に今後の社会の理想像を見出し、その中で教育がいったいどのように機能しているのか、という点に興味を持ったからです。

そしてこれについて、留学を通していくつかの点を自分の内に掴むことができました。

幸福度が高いという現象は社会の通念としてwell-beingという概念が尊重されていることの反映であり、自分が自分らしく生きられるということに対して、その機会が誰に対しても平等に開かれているという点で教育が貢献している……と、大まかにはそのように理解するに至りました。



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ではそれを日本で同じように実践するにはどうしたらいいのか?Well-beingの概念を日本に輸入するとしたら、いったいどのように受容されるべきなのか?

初めの内はこのことについて頭を悩ましていました。ここで本当は日本についてもよく分かっていないということに気付いたり、そもそも国家とか民族とかいうものは何なのか、ということにまで問いが広がってしまったりしました。

フィンランド人のものの考え方は当然ながらフィンランドに固有の自然、歴史、文化、言語と密接に結びついていますし、それらは建築や都市のデザインにも現れています。

それらがさらにフィンランドの環境を形作り、人々の暮らしや思考に影響する……と、そういうことを考えだすとキリがなく、結局は日本はフィンランドのようにはなれないのではないか?と思いました。

しかし、それは日本にとって残念なことなのか?と言うと、それもまた違うのではないか、とも言えます。そもそもフィンランドの教育が1から10まで素晴らしいわけではありません。


特に思ったのは、フィンランドの教育が、福祉国家が個人に提供するサービスとして世界最高レベルであるとしても、教育の捉え方は他にもあるはずだということ。そして、仮に学校での学びを民主社会における生活の実践であると仮定するならば、子どもたちがその「学びと共にある生活」の中で互いに互いが「善く在れる」(well-being)ことをいかに保証していけるのか、また、それによって子どもたちは何を学べるのか、教師はどのように働きかけることができるのか……という問いでした。


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このような気付きや問いを得ることは、留学当初には全く思いもよらないことでした。これらのことは4か月の中で自分の内に耕されたものの一部にすぎず、それら全てが勉強不足ですが、少なくとも私にとって、これが教教の学部生として留学することの一つの大きな意義だと思われました。

もし私が学部4年だったり院生だったりしたら、自分があらかじめ持っているテーマについての知見をもっとはっきりとした形で学びとることができたでしょう。しかし私はまだ学部2年で、教育についてもまだ全然分かっていないし、自分の関心がどこに向いているのかもまだよく分からない状態で留学してしまいました。

しかし、そのような状態だったからこそ、自由自在に問いが広まり、深まり、今後自分が考えていきたいこと、進んでみたい道が見えてきたような気がします。

答えではなく、問いを探しに行くこと。それが結果として、教教の学部生として留学した私が得ることができた大きな成果になりました。


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振り返ればさまざまな刺激を受けて、平和のことにしろ教育のことにしろ、本当に多様な発見と新たな問いに出会うことができました。

そして、その暮らしの中で素敵な人や出来事にもたくさん出会い、かけがえのない時間を送ることができました。

留学が終わっても、大学生活は続きます。

これからさらに大きく翼を広げて進んでいきたい、まずは帰ったら教教のみんなと再会して、大いに語り合いたい、そういう気持ちでいっぱいです✈

残りわずかとなった留学生活、楽しんで終わりたいと思います♫

前中後編と長くなりましたが、お読み下さりありがとうございます!

本記事が今後、留学したいと思う人や学びを拡げたいと考えている方にとって、ささやかな参考になれば幸いです✨

以上、学部2年の藤田でした!ありがとうございました!!(> <)

 
 
 
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