
STAFF
インタビュー
尾川 満宏
准教授
専門分野:教育社会学
趣味:帽子
研究内容

地方の若者のキャリア形成、人口減少地域の教育課題
主な研究論文・著書
Q1.現在のご研究テーマと、いま最も関心を寄せている問いについて教えてください。
地方の若者、とくに非大学進学層を中心とした人びとのキャリア形成について、学校、地域、家庭とのかかわりから検討してきました。違う言葉でいえば、人びとの学校から社会への移行、子どもから大人への移行が、家庭や地域のさまざまな環境や要因から影響を受けながら成立していることに着目し、その具体的な過程やかれらにとっての意味あいについて、インタビューやフィールドワークなど現場密着的な調査を中心に研究してきました。そこから派生して現在は、キャリア形成におけるジェンダー問題や、人口減少地域の高校教育などについて調査研究を進めようとしています。
Q2.これまでの学習・研究の過程を振り返り、現在の研 究分野に至ったきっかけを教えてください。
わたしの専門分野は教育社会学というものですが、これは教育にかかわるさまざまな事象や問題を社会学的に研究する分野です。最初は大きな勘違いからこの分野に入門しました。高校生のときまで「社会科」が好きだったのと、教育問題にも関心があったことから、「教育社会学なんていう、社会と教育を足して二で割ったようなもんがあるじゃないか」と思って学び始めました(同じように勘違いして、社会教育学に入門していた可能性もあります笑)。ですが、その勘違いはすぐに正され、教育について社会学的に見たり考えたりすることの面白さは(それを深く理解したり説明できるようになるのには時間を要しましたが)、広大教教の先生方の講義や、先生からおススメいただいた書籍・論文に触れながら、自分の中で大きくなっていったような気がします。とくに、ちょっと背伸びして小難しく、マクロなことばかり考えかけていた学部4年生~修士1年生のとき、当時指導教員の山田浩之先生から「こっちの研究テーマのほうが面白いんじゃない?」と助言され、自分にとって身近な人やコミュニティを研究フィールドにしたことは転機だったかもしれません。そのとき、研究の参考にイギリスの社会学者ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども:学校への反抗、労働への順応』(筑摩書房、1986年)を読んだことで、ミクロな事象(不良少年たちの反学校文化)とマクロな問題(社会階級の再生産)のつなげ方のイメージが沸いて、俺の生きる道はこれだ!! と思ったり思わなかったり。その後、同じくイギリスで社会学と地理学が学問的に交流・交差しているとの研究動向をつかみ、自分の問題関心や研究フィールドにも使えるぞと思って、教育社会学における自らの研究の特徴や位置づけを明確化しようと試みてきました。いま思えば、中学生のときに学校で配られた『日本地図帳』をなめまわすように読んでいたあたりから地理的なことに関心があったのでしょう。「社会科」好きは抜けませんね。
Q3.先生ご自身の立場から見て、教育学(またはご専門分野)という学問の魅力や意義はどこにあるとお考えですか。
身も蓋もない話ですが、自分が教育学者なのか、社会学者なのか、自分でもよく分かっていません。上で書いたような、地理学とかの話を織り交ぜて学会発表をしたあと、オーディエンスから「君は教育社会学じゃないね」と言われたことも笑。でも、それを面白がってくれる人が教育社会学界隈にはたくさんいます。教育社会学はこう、教育学はこう、といった「型」みたいなのもありますが、それをはみ出るところに研究の面白さがあると思ってやってきたので、「型」そのものの面白さをあまり追求していない自分がいます。 とはいえ、「型」がなければはみ出る余地もないのは明白です。日本の教育社会学は、Educational Sociologyというときがあったり、Sociology of Educationというときがあったりします。よりよい教育をするための社会学的研究と、教育を説明するための社会学的研究、という感じです。医師の仕事になぞらえて、教育をめぐる規範や当為論は治療的アプローチ、教育をめぐる現状把握や説明は診断的なアプローチというふうにも言えます。教育社会学の魅力は、診断に重心を置きつつ、治療の道筋を展望する基盤的な知や見方を提供できることだと思います。そのために教育について教育内部の要因や論理で完結させて考えないこと、その外部にあり内部を規定している社会的な諸要因(種々の制度・政策、人口動態、経済、文化、社会意識、等々)とセットで研究することで、いままでとまったく異なる教育の診断ができたり、治療の展望がひらけてくる(病気と思っていた状態が実は健全だった、も含め)というのが教育社会学の魅力かな、と思います。そして、そうした視点を教育学の重要分野として内包していることは、教育学がリフレクシブな学問であることの証左だと思います。
Q4.教育や教職、教育研究に関心をもつ学生に向けて、伝えたいメッセージを教えてください。
わたしの経験からみなさんにお伝えしたいことは、自分にとって身近なところにある「あたりまえ」が、重要な研究の入り口になる、ことも多い、ということです。われわれが学んだり遊んだり、働いたり生活しているなかで素通りしてしまっている「あたりまえ」は、一度立ち止まって疑ってみると、まったく「あたりまえ」ではないことに気付けます。特定の社会的な条件下で成立している事象・現象・思考に過ぎませんし、条件が異なれば成立しません。自分の「あたりまえ」に対するリフレクシブな態度はすべての人に必要かもしれませんが、教育にたずさわる人にこそ不可欠だと思いますし、そのための見方やスキルをしっかり身につけてほしいと思います。近代社会に誕生した教育という営みの目的は、これまた近代社会の産物である「一人ひとりによりよい生を」という人権の最大化です。ところが、実は教育には人権の最大化を阻害する側面も備わっていて、実際にそういう機能を発揮してきました。教育についてわたしたちが持つ「あたりまえ」は、誰かの特権を黙認することに加担していたり、誰かの生活や幸福を不当に貶めたりすることに一役買っていることがままあります。こうした状況をどのように把握し、説明し、「よりよい生」の最大化を展望する議論の足場をつくるか。マクロな制度設計であれ、ミクロな実践であれ、教育にたずさわる人にはまずこの問題に対峙してほしいと思います。教育社会学は、身近な「あたりまえ」からこの問題に取り組むための見方とスキルを磨くことのできる学問だと、わたしは考えています。