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STAFF

インタビュー

​宮本勇一

​助教

専門分野:教育方法学

趣味:クラシック鑑賞

好きなもの:甘菓子全般

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東広島のお気に入りのお店:颯爽、リトルセイロン

研究内容

専門はドイツ教授学あるいはカリキュラム論で、「学校は何をこそ子どもに教えなければならないのか」という、教育課程の編成原理に関する様々な言説を、ドイツの歴史の中から発掘しています。時代によって言語が人間の根本だ!となったり、体操や芸術が根幹だ、とされたり、さらには天文学と自然地理こそが何よりも大切だと言われる時代もありました。そうした様々な根拠づけの歴史を探りながら、今日の教育課程の編成にはどんな特質や課題があるのか、という現代のカリキュラム論の新たな像を探っています。

主な研究論文・著書

・ Intercultural Collaborative Lesson Study between Japan and Germany, International Journal for Lesson and Learning Studies, 10巻, 3号, pp. 245-259, 2021, May, 20 (https://doi.org/10.1108/IJLLS-07-2020-0045)

・Wilhelm von Humboldt’s Bildung theory and educational reform: reconstructing Bildung as a pedagogical concept, Journal of Curriculum Studies, 2021, 5, 20(https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/00220272.2021.1949750)

インタビュアー:前田 優菜(学部1年生)、田中萌香(学部1年生)

教育学研究者としての原点

~人と関わる教育の魅力~

前田 優菜:

なぜそもそも教育について学ぼうと思ったのか、その原点はなんですか。

宮本 勇一:

シンプルに言えば、大学に入る時に教育学部がいいっていうのは結構はっきり決めていました。その理由は経済学とか社会学、法学とかいろいろ見る中で、やっぱり、モノ、お金、法律、本よりかは人と関わる方がいいって思って。やっぱり人を育てる仕事がいいって思って教育学部にしたっていうのが大きいですね。自分のすごく長い先を見て、自分が生きていくうえで取り組むものは人でありたいなとかは思っていました。まあ結局、今となっては文献とかばっかりですけど(笑)

前田 優菜:

じゃあ最初は学校の先生を目指していたんですか?

宮本 勇一:

完全にそうです。小学校の先生を目指していました。

前田 優菜:

学校の先生ではなくて教育学の研究者になろうと思ったのはなぜですか。

宮本 勇一:

う~んそうだね~、まあ紆余曲折あるんですけど、一つはやっぱり大学で研究することが好きになったのと、自分の勉強不足をいろいろ知ることがあって、もっと勉強しなきゃって思うようになったのが大きいかもしれないな。ちょっと恐怖感というか、もっと知らなきゃとかいう風になって、いろいろ本を読むようになった感じですね。この楽しさと、知的好奇心と知的恐怖心みたいなのがずっとね、入り混じって、いっぱい読んでいるうちにもっと勉強したいと思ってきた、というのが研究の道を選ばざるを得なかった理由かな。

いや~バカだったんですよ、自分が(笑)。ほんとに周りの人がね、友人とかがやっぱり教育のこととか哲学のこととか歴史のこととか、すごい知に長けていて。社会とか政治「わ~僕何にも知らないや~」ってことが結構突き付けられてて、「これで子どもと向き合っても、たぶん自分の考えと裏腹なことを気づかないうちにやってしまうかもな~」って思いましたね。

僕は「こうなりたい」みたいない積極的な意欲みたいな感じで進路を考えたんですけど、結構広大の先生とか、同期の友人とか、特に後輩とか、やっぱり本当の賢い人たちはその場その時の興味で「なんとなく」決めているんだな~と思うと、ちょっと自分は古臭いんだなって思います。。将来を見通して「なぜ僕はこれがしたいのか」とか一生懸命根拠づけていたけれど、今思うとなんか一生懸命だったな~って思いますね。なんか何にもないからっぽの自分に、一つでも何か誰にもないものを持ちたいみたいな感じですね。その怨恨感情は今でも生き生きしていて、研究動向とか社会の動きに対していつも斜に構えるくせがついてしまいました。そうした決意主義的な感じが強くはありましたが、最終的には研究や知的刺激が好きだったということは僕も外せないかな。

田中 萌香:

教育学の研究者になろうと思ったきっかけで、アメリカ留学に影響を受けたと聞きましたが。

宮本 勇一:

まさにそうですね。アメリカ留学は結構周りが行くっていう文化があったんですけど、行きたいとは思ってて。「自分の知っているものの知らない向こう側」というような、まさに知的感動と知的恐怖心を一番強く持ったのがアメリカ留学でもありました。

アメリカの大学が当時の自分にはすごかったんですよ。学生も学習文化も全然違って。学部生のみなさんには、アメリカに限らずぜひ行ってみてほしいですね。最近になって行くようになったドイツも同じ感じでしたが、アメリカの留学中、図書館の席が一席も空いてないってくらい学生がひたすら勉強する姿をみましたね。学習サポートもすごくって、今だからこそオンラインだけど、2012、3年の時に授業全部が録画されてるんだよね。いわば、視聴覚の障がいがある人のためのアクセシビリティとか。あとはTA制度。教員じゃなくてTAが必ずいていつでも質問に答えるみたいな、もちろん広大にもあるけど。それがすごいもっと充実してたりだとか、いろんな制度面でもあらゆる学習保障とかあらゆる面ですごいなと思って、大学ってすごいなみたいな。まだまだ物事を知らなかった若い宮本君は、ひるがえって日本の大学生とか大学に怒りに似た疑念を持つようになりましたね。今思うと本当に視野が狭い傲慢な怒りなのだけど、「なんなんだ日本の学術は」みたいになって、高等教育論、「大学で学ぶってどういうことだろう」ってことを考え始めるようになって、自分のこの問題関心や日本の大学に対するもやもやをうまく言葉にしてくれているものはないか、いろんな本をさらに読むようになったって感じかな。衝撃でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

~知的好奇心と知的恐怖心~

 

前田 優菜:

なぜこの分野に興味をお持ちになったのですか?

宮本 勇一:

人とのめぐりあわせですね。僕が入ったゼミがドイツのことをやっている先生だった。それ以上言いようがないな~。僕は最初は大学論とか学問論に興味がったけど、自分でいくらやってもやっぱりわかんないんですよね。特に高等教育論とか学問するとは何かとかいっぱい膨らんでたけど、やっぱり読んでもただただ流れていくだけで、これの現代的な意味とかどういう風に読みふくらませばいいんだろうとか。自分のものにしていくみたいなプロセスはやっぱり人からの言葉かけが必要だと思う。本自体が教えてくれることはいっぱいあるけれど、まずどんな本がいい本かについてつかむのは自分ではなかなかできないから、よく読んでいる友人の紹介やまとめを聞くのがないと無理だし、本のより深い理解は先生の言うことを一から十までメモしながら、わかるところから一個ずつ何回でも詰めていくほかないかなって感じだったかな。その結果、学問、人間形成、カリキュラムに関する今の自分の研究がある感じだね。いろんなアイディアを結び付けながらやっていくから、その時お世話になった先生とか友人とかからあれってこう読むよねとかみたいなことを突き合わせる中で、自分の思想が固まっていく感じだったかな。だからやっぱり人ですね。

田中 萌香:

宮本先生の恩師の先生で、深澤先生をあげられていますが。

宮本 勇一:

知らないよね、二人とも。ここ(インタビューを行った部屋)もともと深澤先生の部屋だったんです。

前田 優菜:

えぇ~すごい、ロマンチック。

宮本 勇一:

恩師の椅子ですこれが。ちなみに恩師の恩師の椅子がこれなんです。

前田 優菜:

えぇ~。

宮本 勇一:

深澤先生と出会いました。あともちろん吉田先生ね。

田中 萌香:

思い出に残るエピソードや心に残っている言葉はありますか?

宮本 勇一:

何個かあるんですけど、院生になって一番最初の初めてのゼミ、自分がどういう研究したいかみたいなことを発表するときに・・・いわば自己紹介だよね。その時に、吉田先生から「意味が分からない。」って言われて。「言ってる意味が全く分からないけどまあこれからよろしく。」みたいな。深澤先生がちょっとためて、いつも特研中は窓向きながら考えていらしたんだよね。で、振り向きざまに「こんな壮大な話久しぶりに聞いたわ。」って目をぱちっと開けておっしゃったんですよ。その時は、うれしかったことを覚えていて。あとから考えると、研究テーマも絞れてないし、大雑把だから全然だめだっていう意味なんだけども、そのとき先生に言われた「壮大な問いがあるね。」みたいな、それは今でも大事にしていて、研究者って本当に、どうでもいいかもな~みたいなことやってるんだけど、そういうことじゃなくってちゃんと教育を問うような研究をしたいなって思うようにはなってる。

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宮本先生の研究テーマ

~「なんで算数学ぶの?」の歴史的・哲学的・政治学的探訪~

田中 萌香:

先生の研究分野の魅力を教えてください。

宮本 勇一:

カリキュラム研究の面白さか、難しいね。ずっと考えてるいのは、たぶん小学生から思っている問いで、「なんで算数やるの」って話が本当に真理ついているというか。結局究極的に答えてくれた先生っていない気がするんですよね。なんかかっこいい言い回しをして、「社会に役立つためだよ。」とか、「立派な人になるためだよ。」とか、いろいろ言うけど、結局何なんだと。

どうして算数やるの、とか、どうして英語やるの、とか。今だと当たり前だけど、戦時中から戦後、全然当たり前じゃなかった時代もあった。そういった「なんでやるの」をいろんな背景を混ぜながら考えていくっていうところが最大の関心ですね。もうちょっと面白くなるのが、歴史を見て、今でこそ国語・理科・社会って教科があるじゃないですか。それで、国語が最初に置かれているけども、これは時代をさかのぼると全然違うんですよ。成績のウエイト、例えば入試とか受けたら、国語の配点とかある。あの配点のバランスが、その時代で何が重要かを表している。時代ごとにそれぞれの社会の人間像っていうのが違って、そういったものを探りながら、じゃあ例えば今の社会どうだろうね、とか、本当に必要なこと何かな、とか考えたり、いらないことないかな、とか考えたりもするかな。こうした検討のなかでも大事にしているのは、人間形成論っていう、哲学的な視点ですね。

田中 萌香:

先生独自の研究領域で、19世紀初頭に活躍したフンボルトのカリキュラム構想とあるのですが、詳しくお聞かせいただければと思います。

宮本 勇一:

フンボルトっていう人はなかなか聞かないと思うんだけど、でもそれがまさに留学の後に出会った人なんです。「大学ってなんだ」って考えたときに、帰ってきて先生に「フンボルトだね~。」って言われたんですよ。大学論をやりたいって言ったけど、何をやればいいかわからない。それで先生に「じゃあフンボルトだね」っていう風に導かれたんです。フンボルト自体というのは有名で、ドイツにベルリン大学ってあるんですけど、それの正式名称がフンボルト大学ベルリンって言うんですよ。フンボルトは19世紀初頭、1809年にベルリン大学を作って、いわゆるところの今の大学の「研究する」という理念を打ち立てた人の一人です。それまでの大学人は研究というよりも、法・神・医学などで職業養成の意味合いが強かった。だから教えることが重視されていた。神様の知識を教える。逆に研究して新しい解釈を生んでいたのは、いわば牧師さんです。フンボルトは、「大学で研究して新しい知見を生み出しましょう。そしてそれを学生に伝えて、もっと新しい知識を生ませましょう。」っていう理念を生み出した人で、高等教育・大学論をやるってなったら彼かなっていう風になったのですね。皆さんもゼミで研究というものをするし、4年生になったら卒論も書くことになるでしょうし、そもそも大学生になったら、自分でいろいろ探究し、世界を広げていくでしょう。そうした、自律的な探究を教師も学生も共にしていく場所だと、大学の場を考えたのがフンボルトだったんです。

それで、じゃぁ学生が自分で研究や学問探究をするといっても、難しいですよね。学生が自ら好きなことを自律的に学んでいけるようになるまでに、若者がどうなっていればいいのか、何を教えられたり学んだりすればいいのか、ということが大事になってきます。進路が何であれ、「大学や社会に出るまでに小中高でどんな人を育てればいいの?」っていうことをフンボルトに聞いてみた感じです。

田中 萌香:

最近の研究関心について教えてください。

宮本 勇一:

フンボルトとともに学校改革や学校とはこうあるべきだということを考えてたんですけど、カリキュラムの何を教えるべきかっていう話にはかなり政治が関わってくる。ヒトラーの時代は体育を教えるべきだ、とか。例えば、学校の試験で国語の試験が300点で算数が100点だったら、国語が得意な人が世の中のぼっていけるじゃないですか。だから何を教えて、何を学ばせるかっていうカリキュラムの議論って、誰がこの社会で優れた力を持つのか、誰がはじかれるのかっていうことを決めるっていう意味で、ものすごく政治の問題になってくる。ほかにも、たとえば、社会で若者の暴力、非行事件が起きると、それは家庭の中の複雑な問題や、社会福祉が行き届いていないといった、「社会」の問題なのに、いつのまにか「学校」のせいになっていて、道徳教育が強く訴えられる。2000年頃に若者がゲームに没頭して様々な社会問題が起きたときは、学校の教育の問題に「変換」されるんですね。学校のカリキュラムは社会や政治と密接に結びつきながら決められるんです。「人間を育てる」といってもその人間像は、社会の中の誰が描く人間像なのか、その力学が学校カリキュラムの裏側には働いていると思うんですよね。なので、学校改革についていろんな人が言っているその語り方を分析するという感じですね。

ある人が「学校ではこういう制度入れるべきだ」って言ったけど、「それって実は裏側で利害が絡んでいるんじゃない?」とか、「自己正当化してるんじゃない?」とか、ちょっと意地悪な研究している感じですね。「この学校を変えましょうの裏には何かあるんじゃないの」みたいな、そんな研究をしている感じです。

前田 優菜:

研究テーマある教育改革は日本の教育改革ですか?

宮本 勇一:

うん、一応日本のなんだけど、今結構グローバルで同時進行だから、ドイツを見ていても似た感じとか正直あると思ってます。でもピンポイントで見ているのは、まずは日本ですね。あと時間軸で行くと今日だけでなく、フンボルトの時代のことも見てる。だから全然違う次元の世界だよね。フンボルトの時代の教育学の進め方と今の教育学の進め方も全然違って、それを比較すると今のやり方がいかにおかしいかとか、当たり前じゃないよねっていうことが見えてくる。当たり前を疑えるよね。

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宮本先生の生活に迫る!

~読書会のススメ~

前田 優菜:

先生はどのような授業を担当していますか?

宮本 勇一:

教育課程論と教育方法技術論っていうのをやっています。それと非常勤で広島市内の大学で教えてますよ。

田中 萌香:

他大学ではどのような授業をしていますか?

宮本 勇一:

実はちょうど教育課程論と教育方法技術論で同じなんだ。だから同じ内容言っても違う反応が見れるんだよ。だから学生さんや学生文化、大学文化の違いが如実にわかるよね。いろんな事考えさせられますね~。もともと高等教育論に興味があるから、今の学生が何に関心あるのか、何を探求しようとしているのか、あるいは何が一番大きな問題になっているのかなどを比較しながら観察するのは面白いね。

前田 優菜:

大学教員の一日の勤務の様子について伺いたいのですが、そもそも助教はどんな仕事をされているんですか?

宮本 勇一:

集中して仕事を入れる日と勉強会・読書会を入れる日があります。勉強会・読書会は多いときは朝9時から夜の8時までとか。遅いときは夜二時とかまで。昔は朝6時まで話通したりもしたので、ほんと勉強会楽しいよ。高校のころからやってるからもう10年以上だねぇ。

田中 萌香:

いろいろ議論するってことですか?

宮本 勇一:

その通り。自分が去年まで院生で教員一年目だから、「先生についていく」のが多かったんだけど、その分あんまり話さないんだよね、聞くみたいな。聞くだけでも楽しかったよ、もちろん。先生たちの宇宙みたいな。ほんとにビックバンがいっぱい起こるんだよ。勝手に話がブワ~ってなって、それを聞いたらこっちが爆発するんだよね(笑)、しかもかみ合わないっていう(笑)。ほんとに感動するよ。

他方で自分が主導する勉強会・読書会ももちろんあるよ。やっぱり自分の意見を交流できる。勉強会楽しいです。ほんとに一日中自分のしたいことにつぎ込まれるから、ありがたいですね。

…なんか仕事の話してないね。趣味の時間というか(笑)。

 

宮本先生の選ぶ、教育リーダーを志す人に読んでほしい一冊

~「大きな問い」に立ち向かう~

田中 萌香:

教育リーダーを志す人に読んでほしい一冊として『古典を失った大学』とおっしゃっていたのですが。

宮本 勇一:

結構悩んだんですよね。すみませんこの本はとても難しいです。『古典を失った大学』は、「なんで大学で勉強するの?」の意味を説いてくれている感じかな。「(研究者など)誰もかもが大きな問いを失っている」っていうのが著者の問いで、ほんとにちっぽけなことしか問わないような研究ではなくて、教育とか人間とか社会とかを考え直すような壮大な、根本的な問いを忘れたくないなっていうのはあって。それでこの本を選びました。けど難しいですね。教育リーダーのみなさんにも、ぜひ大きな問い、僕は「のっぴきならない問い」とも言いますが、そういったかけがえのない問いを教育の実践の中で、教育の探究の中で深めていけるようであってくださればと思います。

宮本先生から未来の教教の仲間に向けて

~つながりから自分探しへ~

田中 萌香:

教教への進学を考えている人や興味関心がある人へ一言お願いします。

宮本 勇一:

ほんとに好きなことをとことんやる以上のことはないよね。その過程は自分探しと自分づくりの両輪だよね。自分のしたいことをとことんやれっていうけど、自分が何したいかってそんなすぐにわからないじゃん。だから自分探しでもあるというか。それを遊びながら、人の話聞きながら、本読みながら、思考することを忘れないのが大事だと思います。ただ、経験と思考の両輪もあって、思考だけしても結局自分の論理が固まるだけだから、本を読んだり、新しい人と話したりしながら、これまで出会ったこともないようなAWAY体験の中で自分の言葉では全く説明できない事態に出くわすことで、ふと突然見つかるものだから、やっぱり経験大事だよね。でも、だからといって世界中旅行をしてみても、自分はそこにはいないことって多くって、やっぱり経験の中でこれが自分の考えていることとどう結びつくか、つかないかを思考することを投げ捨ててはいけないと強く思うんですよね。受動的な経験と能動的な思考の火花の散り合いの中で自分探しと自分づくりの両輪は回るんじゃないかな。

だから、さらにもう少し言うと、出会う人との縁を大事にすることもとても大切かなと。多くなくていいのでね、ふれあう中でその人の人生を背負うわけではないけれど、ふとその人と「出会った」と思えるような時が来るまで楽しく深く対話を広げていくのがいいかなと思います。

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