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教教の歴史

教育学講座の歴史

教育学教室のあゆみ

広島高等師範学校の時代

01.

History

「ひろしま・こーし」って、聞いたことがありますか。

1902(明治35)年に設立された広島高等師範学校のことです。教育学教室の遠いルーツはここにあります。時代は日清戦争と日露戦争の間、日本の近代化が軌道に乗り始めた頃です。前々年には尋常小学校の授業料を無料とした第三次小学校令が発布され、義務教育制度が確立されようとしていました。

当時、旧制中学などの中等教育機関は、まだあまり発達していませんでした(小学校の教員を養成した師範学校も、府県立の中等教育機関でした)。まして、高等教育機関は数えるほどしかありませんでした。広島高等師範学校は、数少ない高等教育機関であり、官立のしかも授業料のいらない学校でした。そのため、全国から優秀な学生が集まってきました。

高等師範学校は、師範学校や旧制中学などの中等学校教員を養成する学校でした。高等師範学校のもうひとつの使命は、普通教育の研究を行うことでした。高等師範学校に附属中学だけでなく、附属小学校も付設されたのはそのためでした。初等教育から中等教育に至るわが国普通教育の中枢として機能した高等師範学校は、教育の本山と呼ばれるようになりました。

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教育学教室のあゆみ

広島文理科大学の時代

02.

History

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1939(昭和4)年には広島文理科大学が設置されました。広島文理科大学では高等師範学校の教育を基礎とし、さらに専門的な教育を行いました。文理科大学の教育学科(教育学専攻及び心理学専攻)は、現在の教育学教室の直接のルーツに当たります。

高等師範学校や文理科大学の卒業生は、ほとんどが中等学校の教員になっていました。現在でも高等学校などの中等教育実践に活躍する先輩が多いのは、その伝統です。師範学校は戦後の教育改革で、教員養成を行う大学(学部)となりました。これらの教員養成大学(学部)では、師範学校時代から高等師範学校・文理科大学の卒業生を教員として迎えておりました。その伝統は現在に引き継がれ、大学院の教育学研究科を卒業した者が、教員養成の職に就いています。

文理大の教育学教室では、ペスタロッチー研究が精力的に進められ、世界でも有数のペスタロッチー研究のメッカとなりました。ペスタロッチーは最も偉大な教育実践家であるとともに、近代教育学に大きな影響を与えた理論家・思想家でもありました。広島文理科大学教育学教室のペスタロッチー研究は、日本の教育実践家に大きな感銘を与えました。また、日本の教育学研究の進展に多くの貢献をしました。現在、教育学部では、ペスタロッチー教育賞を設けて、優れた教育実践を顕彰しています。

教育学教室のあゆみ

広島大学教育学部の時代

03.

History

1949(昭和24)年、国立学校設置法により広島大学教育学部教育学科が置かれました。教育学科は、広島文理科大学教育学科教育学教室を母体とし、広島高等師範学校の教育学担当教官を包摂して発足しました。教育学科の教官組織は、広島高等師範学校および広島文理科大学からの配置換により次第に充実していきました。

1953(昭和28)年には、大学院教育学研究科教育学専攻・教育行政学専攻が設置されました。新制大学院の発足と同時に博士課程をもつ大学院が設置されたのは、前身校での研究・教育が評価されたからです。この時、大学院の基礎となる講座が確定しました。教育学専攻の基礎となる講座として、教育学第1講座(教育哲学)・教育学第2講座(日本東洋教育史)・教育学第3講座(西洋教育史)・教育学第4講座(教育社会学)・教育学第5講座(教育方法学)・教育学第6講座(教科教育第一)・教育学第7講座(教科教育第二)・教育学第8講座(教科教育第三)の8講座が置かれました。教育行政学専攻の基礎となる講座として、教育学第9講座(教育行政学)・教育学第10講座(比較教育制度学)・教育学第11講座(学校教育及び社会教育)の3講座が置かれました。学校教育および社会教育講座は後に講座の通称を教育経営学と改めました。教育学専攻の基礎となる講座と位置づけられていた教科教育関係の講座は、教科教育学専攻がつくられた際、分離されました。

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1978(昭和53)年には、学部の改組が行われ、従来の講座制に代わり大講座制が導入されました。教育学科には、教育哲学・教育史講座、教育社会学・教育方法学講座、教育行政学講座の3講座が置かれました。教育哲学・教育史講座は、教育哲学・日本東洋教育史・西洋教育史の各研究室からなり、教育社会学・教育方法学講座は教育社会学・教育方法学・社会教育学の各研究室からなり、大学院教育学専攻の基礎となる講座となっています。教育行政学講座は教育行財政学・比較教育制度学・教育経営学の各研究室からなり、大学院教育行政学専攻の基礎となる講座となっています。

そして2000(平成12)年,従来の教育学部と学校教育学部および教育学研究科と学校教育研究科の改組・統合が行われ,現在の教育学教室に至っています。

教育学教室は、2倍勉強したい人のコースでもありました。戦前の高等師範学校では3年間に現在の単位数に換算して170単位程度の授業を受けていました。高等師範学校を卒業すれば、自他ともに認める優秀な教師でした。文理大の教育学科には、そのような中等学校教員の資格をもっていながら、なお研究を深めたい学生が入学して来ました。新制大学の教育学科の学生にも、同じようなことがいえます。教科の得意な教員になるのなら、他の学部・コースでも十分です。教育学教室を卒業して教師になった先輩達は、教科の指導力はもちろんのこと、さらに加えて教育についての見識をもった教師になろうと努力してきました。現在でも教育学教室の学生は他コースの学生より多くの単位を取っています。研究者を志す学生も豊かな教養の上に、専門の研究を深めようとしています。

恵まれた条件と意欲に満ちた学生が、教育学教室の輝かしい歴史を作ってきました。しかし現在、日本の教育は多くの問題を抱えています。日本の教育をよりよいものに変えていくことが望まれています。我々は大いに学び、そのために微力を尽くしたいものです。教育学を学ぶ者の高い志が、教育学教室の新しい歴史を作って行きます。(ob)

ペスタロッチー研究

ペスタロッチーについて

ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチー

01.

JOHANN HEINRICH PESTALOZZI

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JOHANN HEINRICH PESTALOZZI。スイスの教育家・教育思想家。

1746年、チューリッヒに生まれる。チューリッヒの大学に学び、そこでルソーその他の革新的な啓蒙思想に触れ、政治の改革を求める学生組織「愛国者団」に入る。その後、農業を志し、アンナ・シュルテスと結婚、農業経営のかたわら、貧児・孤児の教育事業に着手する。

1781年、教育小説『リーンハルトとゲルトルート』を発表し、絶賛を博す。シュタンツで孤児救済の活動を経て、1804年、イヴェルドンに学園を開く。『メトーデの精神と心情』『ゲルトルート教育法』など、多くの著書を刊行する。学園は、多くの国々からの参観の人々が集まり、教育実践研究のセンターとなって、ヨーロッパ、アメリカにペスタロッチー運動が広がる。

1825年、弟子たちの内紛から、学園を閉鎖してノイホーフに退き、1827年、ブルックにおいて没す。82歳。

ペスタロッチー墓碑銘

ハインリヒ・ペスタロッチーここに眠る。
1746年1月12日チューリッヒに生れ、1827年2月17日ブルックに没す。
ノイホーフにおいては貧しき者の救助者。
「リーンハルトとゲルトルート」の中では人民に説き教えし人。
シュタンツにおいては孤児の父。
ブルクドルフとミュンヒェンブーブゼーとにおいては国民学校の創設者。
イヴェルドンにおいては人類の教育者。
人間! 基督者! 市民!
すべてを他人のためにし、
己には何物も
恵みあれ彼が名に!

ペスタロッチー資料室

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本学のペスタロッチー資料室には、ホッツ画「ペスタロッチー肖像画」、バウムベルガー画「闘士ペスタロッチー」、そしてグローブ画「ペスタロッチーとシュタンツの孤児」と、三枚の絵画が並んで掛けられています。
毎年広島大学で開かれるペスタロッチー教育賞受賞式には、1960年にスイス政府より長田新に贈られた石版画、バウムベルガーによる「闘士」が資料室から運ばれ、正面に飾られています。
ペスタロッチー資料室には、この由緒正しい三枚の絵画のほか、フレーベルやペスタロッチーの直筆の手紙、スイス政府から、ペスタロッチー研究の業績を讃えて長田に贈られた感謝状などの貴重資料のほか、長田の著書など関係資料が保管されています。

ペスタロッチー資料室に収蔵された三枚の絵画について書かれた丸山恭司教授の論文

「グローブ画「ペスタロッチーとシュタンツの孤児」の複製と伝播について : あるいは、教育運動における視覚メディアの役割」(広島大学大学院教育学研究科紀要 第三部 第54号 2005 51-59)

ペスタロッチーについて

ペスタロッチーとペスタロッチー教育賞

02.

JOHANN HEINRICH PESTALOZZI

広島大学教育学部は、

財団法人広島地域社会研究センターならびに中国新聞社の講演を受け、今日、優れた教育実践をおこなっている個人あるいは団体を顕彰するために、先のペスタロッチー賞の精神を継承し、ここにペスタロッチー教育賞を創設した。その趣意として、以下のことが挙げられる。

教育の荒廃が叫ばれる中、優れた教育を地道に実践し、「真教育」の原点を示している実践家を顕彰することは、これらの人々を勇気づけると共に、その活動を社会に広め、活性化させるために、極めて重要なことである。この賞は、混迷する教育の現実に対して、教育の原点を示し、我が国教育の立ち直りのきっかけにしようとするものである。その象徴としてペスタロッチーの名が称えられよう。ペスタロッチーは民衆教育の父であり、教育の実践家として、子どもへの限りない愛情と慈しみを身をもって示した教育者であった。同時に、多くの困難を克服しておこなわれた教育実践から編み出された教育思想・教育理論は、単に18、19世紀の所産としてではなく、常に「真教育」の象徴となり、今日に至るまで世界の教育を動かし、教育の原点を示すものと考えられている。とりわけ、本学部には、大正10年以来の、ペスタロッチー研究および運動に関する長い伝統があることも忘れてはならない。

ペスタロッチーの実践・思想・理論には、今日の教育荒廃を克服するための方途を示す力があると確信される。ペスタロッチーの精神を教育の原点として捉え、優れた教育を実践している人々を顕彰することは、正に今日の教育にとって「地の塩」となろう。

ペスタロッチー教育賞受賞者

第1回

宮城まりこ(ねむの木養護学校校長)

第2回

谷  昌恒(北海道家庭学校校長)

第3回

児玉 三夫(明星学苑理事長,明星大学長,明星小学校長)

第4回 

山田 洋次(映画監督)

第5回

NHK名古屋放送局(「中学生日記」制作スタッフ)

第6回

本吉 修二(学校法人白根開善学校校長)

第7回

黒柳 徹子(ユニセフ親善大使)

第8回

社会福祉法人 広島新生学園

第9回

丸木 政臣(和光学園学園長)

第10回

佐野 浅夫(俳優)

第11回

社会福祉法人 似島学園

第12回

九里 茂三(学校法人九里学園学園長)

第13回

中野 光(日本生活教育連盟委員長、日本子どもを守る会会長)

第14回

アグネス・チャン(日本ユニセフ協会大使)

第15回

津守 眞(学校法人愛育学園理事長)

第16回

曻地 三郎(しいのみ学園園長)

第17回

松田 實(ネパール学校建設支援協会 In ひろしま代表 )

第18回

西谷 英雄(学校法人光の村学園理事長・学園長)

第19回

金森 俊朗(北陸学院大学人間総合学部教授)

第20回

〈教育賞〉髙谷 清(重症心身障害児施設びわこ学園小児科医師)

〈特別賞〉あしなが育英会

第21回

一般社団法人「実践人の家」

第22回

奥地 圭子(特定非営利活動法人東京シューレ理事長)

第23回

水谷 修(花園大学客員教授)

渡辺 和子(ノートルダム清心学園理事長)

第24回

第25回

湊  晶子(広島女学院大学学長)

中本 忠子(NPO法人 食べて語ろう会理事長)

第26回

第27回

和田  晋(広島市教育委員会主事・広島市立二葉中学校前校長)児童養護施設舞鶴学園

第28回

大石由紀子(Oishiサポートセンター代表)

第29回

村井  実(慶応義塾大学名誉教授)

廣島高師 山男の歌

廣島高師「山男の歌」は、

これを長く歌い継いできた関係者らの記憶に基づき、混声四部合唱曲として再構成したものである。

 編曲は本学音楽文化教育学講座徳永崇先生、歌唱指導は同講座枝川一也先生の全面的なご協力をいただいた。また、合唱及びピアノは以下の本学音楽文化教育学コース学生及び卒業生有志によるものである。記して深甚の謝意を表したい。(ソプラノ:八久保智子・宮埜舞・大野内愛(卒業生)・網永悠里、アルト:佃美那・西谷奈菜・土井麻友美、テノール:越前皓也・井上明、バス:神谷雄・長谷川諒・濟川貴、ピアノ伴奏:小林美貴子)

 なお、紅白歌合戦でも歌われた「坊がつる讃歌」(芹洋子)は替え歌としてつとに有名であるが、歌詞やメロディーの一部が若干異なる同“山男の歌”も巷に散見される。混声四部合唱曲としてリバイバル・リニューアルされたこの「廣島高師“山男の歌”」が、歌詞の本旨とともに、広く関係者各位に歌い継がれていくことを切に願っている。

(文責:教育学講座名誉教授・古賀一博)

楽譜・楽曲のダウンロード

廣島高師 山男の歌 楽譜(PDF)

フルコーラス
00:00 / 05:29

廣島高師 山男の歌 フルコーラス(MP3、7.9MB)

1番、6番
00:00 / 02:14

廣島高師 山男の歌 1番、6番(MP3、3.2MB)

廣島高師 山男の歌

廣島高等師範学校山岳部第一歌 作詞:神尾明正 作曲:武山信治

同じ山への憧れを
胸に抱いて行く道は
教えの道ぞ山男
廣島高師の山男

人皆花に酔う時も
残雪恋いて山に入り
涙を流す山男
雪解の水に春を知る

廣島の山は低くとも
夏は故郷の山が待つ
岩を攀ずれば山男
無我を悟るはこの時ぞ

 

深山紅葉に片時雨
テントぬらして暮れてゆく
心無き身の山男
物のあわれを知る頃ぞ 

 

町の乙女ら想いつつ
尾根の処女雪蹴立てては
シュテムボーゲン山男
浩然の気は止み難し 

同じ教えの道を行き
瞼に浮かぶ山の道
道は一つぞ山男
廣島高師の山男